遠い夜明け(一樹様・作)


 薄暗い部屋の中、荒い息づかいが響き渡っている。

「はあっ、はあっ、…んっ、ちゅく……」

 断続的に起こる、濡れたような水音。
 息づかいの音と絡まって聞こえるそれは、隠微な想像をかき立てるものであった。

「……う…っ」

 小さく、うめくような声があがった。
 何かを押さえるような、痛みを耐えるような、そんなうめき。

「……はあっ、…マコト?
 …ふふっ、そんなに、気持ちいいんだ……?」

 からかうような、嬲るような、その声。
 女の声だ。まだ若い、女性の声。

 しかしその声には、奇妙な、歪みにも似た響きがあった。
 淫らな、それでいて幼いような、…どこかで、何かが間違っているような、壊れているような、そんな響き……。

「いいよ、マコト。このままイっても…。
 ……ほらっ」

「う…、うう……っ!」

 うめき声が、いちだんと高まる。
 そしてそれが止み、…そしてその後には薄暗がりの中、2つの異なった荒い息の音だけが響いていた……。


 西川 真(にしかわ まこと)は、学校の帰りにCDショップに寄った。
 姉の好きなアーティストが新アルバムを出すということで、買ってきてくれと頼まれたのだ。
 ポップス等はあまり聞かない彼女だが、渋いことにジャズが好きで。今日もなんだか舌を噛みそうな名前の、外国人のアルバムをご所望だった。

 店のちょっと奥の方、あまり学生服が近づかないような棚へと向かう。
 新譜とはいえ、あまりメジャーなアーティストではないらしく、探すのに少しだけ時間がかかった。
 とはいえ、お目当てのものが見つかり、少しほっとしてレジに向かおうとした……そのとき、真に声がかけられた。

「あれ、西川くん?」

 突然声をかけられ、ちょっとだけびっくりしながらも、声の方を向く。
 そこには、高校の制服を着た、見知った顔の少女が立っていた。

「ああ、二宮か。偶然だね」

 二宮 沙緒里(にのみや さおり)。修のクラスメイトで、同じ高校の1年生だ。
 『にしかわ』と『にのみや』で出席番号もとなり、席もとなりということで、ここ数ヶ月でそれなりに親しくなっていた。

 少し内気だが、それでも何かと面倒見のいい彼女は、クラスでもわりと人気がある。
 それで、こちらもあまり社交的な方ではない真も、彼女とは気軽に親しくできたのだ。

「それ、何のCD?」

 沙緒里が修の手元をのぞき込む。
 真は彼女に、手に持っていたCDを手渡した。

「へ~、ジャズかあ。なんか、渋いね。
 西川くん、こういうのよく聞くんだ?」

「俺じゃあないよ。姉さんに頼まれたんだ」

 素直に、本当のことを話す。

「あれ、西川くん、お姉さんなんていたんだ。
 いくつぐらい離れてるの?」

「うん、2つ年上なんだ」

「ああ、そうなんだ。じゃあ、いま高校3年生?」

「……」

 少し困ったように黙ってしまう真。
 その空気を敏感に感じ取ったのか、沙緒里もそれ以上の詮索をするのを止めた。

「ねえ、ちょっと待っててくれないかなあ。
 私もすぐに買い物しちゃうから、そしたら一緒に帰ろう?
 確か、家、同じ方だったよね」

「あ…」

 返事をする暇もなく、彼女は店の奥へと歩いていってしまう。
 そんなわけで、彼には彼女の提案を断ることは出来なかった…。


 二人で、肩を並べて歩く。
 途中、いろいろな話をした。
 面白かったテレビドラマの話し、好きな漫画の話し、クラスの友人の噂……。

「…ねえ、こんなふうに二人で話すのって、初めてだよね?」

 商店街を離れ、住宅街にさしかかった頃、沙緒里がそんなふうに言った。

「あれ、そうだったっけ?」

 真は、頭をひねる。
 しかしよく思い出してみれば、確かに彼女の言う通りかもしれなかった。
 沙緒里とはしょっちゅう話をしている気がするが、考えてみるとそれは学校で、他のクラスメイト達とのおしゃべりの記憶ばかりだった。彼女とこうして、二人きりでの会話など、なるほど、これが初めてかもしれなかった。

「うん、そうだね。言われてみれば、そうかもしれない」

「ね? そうでしょう?」

 沙緒里は真の顔を見ながら、にっこりと笑う。
 その笑顔にドキッとして、真は彼女から目をそらしてしまった。

 だが沙緒里は、そんな彼を見ながら、少し嬉しそうな表情を浮かべた。
 そして、少しうつむきながら、おずおずと話す。

「あのね、私、……本当はもっと早く、西川くんとこんなふうに話をしたいなって思ってたんだよ?」

 彼女の頬が赤らんでいるように見えたのは、夕日の明かりによる錯覚だろうか。
 沙緒里は続ける。

「ねえ、西川くん? 私ね……」

「あ……」

 だけどその沙緒里の言葉は、そんな真のもらした声に遮られてしまった。

「姉さん……」

「え?」

 顔を上げ、彼の視線の先を確認する。
 二人が歩く道の先。そこに、一人の少女が立っていた。

 歳は沙緒里より少し上くらいだろうか? もっとも、彼女が同級生である真の姉であるというのなら、それは当たり前のことだった。

 やや高めの身長に、白いシャツにジーンズという飾り気のない服装。
 やはり何の飾り気のない、スニーカー。

 風に揺れるその長い髪は、どちらかというと『ただ伸ばした』という感じの、あまりまとまりのないものだった。それでも、その本当の意味でラフな髪型は、少女のまとっている雰囲気とよくなじんで見えた。
 何というのだろうか、なにか、冷たい感じのする、その雰囲気。
 それでいてその奥には、暗い、炎にも似た熱が存在するような、そんな気がする。

 伸ばしっぱなしのように見えるその前髪に半ば隠れた顔は、整っていると言ってもよいだろう。化粧気のない、それでも間違いなく美人といえる顔立ちだ。
 だが、その髪の間から二人を見る、その瞳は……。

『……え?』

 沙緒里は、不意に寒気を覚えた。
 しかしその原因がなんなのかを確認する間もなく、その彼女はふらっと向こうを向き、歩み去ってしまった。

「…西川くん?」

 沙緒里は、真の方を見上げる。
 だけど真は彼女の方を見ず、ただ先ほどの少女が立ち去った方だけを見ていた。

「…あの……」

 話しかけようとした彼女を、真は遮って言った。

「確か、二宮さんの家、あっちだったよね。
 ……じゃあ、ここでお別れだね」

「…うん、じゃあ、また明日。
 学校で、ね……」

 そう挨拶し、二人は別れた。
 沙緒里は別れ際に、最後に真の方に視線を送ったが、彼はそれには応えてはくれなかった……。


「ただいま…」

 玄関で真は家の奥に向かってそう声をかけたが、返事は何もなかった。
 下を見ると、さっき彼の姉が履いていた靴が、乱暴に脱ぎ散らかされていた。

「はあ…」

 真は軽くため息をつくと、その姉の靴をきちんと並べておく。
 その横に並ぶように自分の靴を脱ぐと、そのまま家の奥へと向かった。

 廊下を歩くと、リビングからテレビの音が聞こえてきた。バラエティか何かの番組らしく、にぎやかな声が漏れてくる。
 真はリビングのドアを開け、中に入った。

「姉さん、ただいま」

 部屋の中、ソファに座る彼女に、そう声をかける。
 しかし彼女からの応えはなかった。
 夕方の薄暗いリビングで、明かりも点けずに、じっと膝を抱えている。
 見ているのか見ていないのかわからない目つきで、つまらなそうに画面を眺めていた。

「今日は、早かったんだね」

 ……やはり、返事はなかった。

 彼の姉、優佳(ゆうか)は父親の開業する産婦人科病院で働いている。
 病院で働く、といってももちろん看護婦とかではなく、裏方の雑用を手伝っているのだ。
 そしていつもなら、今はまだその仕事の時間。帰ってくるのは、あと30分ほどたってからのはずであった。

 真は再び軽くため息をつくと、鞄の中から、頼まれもののCDをとりだした。
 姉に差し出す。

「………」

 だが優佳は前髪の間からその包みをちらりと見ただけで、『ふいっ』と視線をもとにもでしてしまった。

 真は困ったように、リビングのクッションの一つに腰を下ろした。
 ただ何となく、テレビを眺める。
 リビングには、ただテレビから流れる笑い声だけが、白けた空気の中を流れていた。

「……さっきの娘」

 ぼそっと、優佳がそう呟いた。
 真は彼女の方に視線を向けたが、優佳はそれ以上何も言わなかった。
 仕方なく、彼は姉に説明する。

「あの娘、二宮さんっていうんだ。学校の、クラスメイト。
 姉さんに頼まれたCD買ってるときに、偶然会って……。それで、家が同じ方向だったんで、一緒に帰ってきたんだよ」

 だが、優佳は何も言わない。
 相変わらず、見てもいないテレビの方に、視線を向けたままだ。

「…姉さん。彼女は、ただのクラスメイトで……」

「…マコト」

 唐突に、彼女が声を出した。
 真は話すのを止め、彼女の次の言葉を待つ。

 それでも彼女は彼の方を見ようともせず、ただ短く、言った。

「……キスして」

「………」

 真は黙ってゆっくりとクッションから身を起こすと、姉の前に歩いていく。
 ソファに座った彼女の前にひざまずくと、彼は静かに彼の姉の唇に、唇を重ねた。

「ん……」

 小さな、気を付けなければテレビの音にかき消されてしまうほどの声が、重ねられた唇の間から漏れた。

 触れあった唇の、熱く、湿った感触。
 顔をくすぐる、呼吸。
 真は鼻腔に、僅かな、それでもなじみの、優佳の匂いを感じる。

 そっと、優佳の両腕が上がり、真の身体に触れた。

 腕から、肩へと…。
 そして、首筋へと……。

 その冷たい手のひらが、彼の肌の上を這い上がる。
 そしてその腕は、真の頭の後ろへと回され、彼を抱きしめた。

「んん……っ」

 二人の唇の間から漏れる、ため息のような音。
 真は、姉の息を、間近に感じる。
 そして彼女の僅かに開けられた唇が、彼の下唇をはさみ……。

「………っ!!」

 真の唇に、突然鋭い痛みが走った。
 彼は、必死で声を上げぬよう、耐える。

 優佳の前歯が、彼の唇をはさんでいた。
 甘噛み、と言うにはあまりにも強い力で、彼の下唇に歯を立てる。
 きりきりと、上下の前歯が閉まる。

 ぎゅっと、彼の頭を抱く優佳の腕に、力が込められた。

 “ぷつり…”と、表面の粘膜が破れる感触と、痛み。
 だが、真は声をたてはしない。ただ、奥歯を噛みしめ、痛みに耐える。

 彼の口の中に、僅かな血の味が流れ込んだ。
 しかしそれは、追いかけるように進入してきた優佳の舌に舐め取られる。

 優佳の口が彼の傷ついた唇にしゃぶりつき、舌を這わせ、そこからにじみ出る血をすすり取る。

“ぴちゃ、ぴちゃ…”

 濡れた、淫靡な音が、二人の耳に届く。
 そして優佳は、ひととおり真の血液が混じった口づけを堪能すると、顔を離した。

「ん…、はぁ……」

 二人の唇を、赤いものの混じった唾液が糸のように細く繋ぎ、そして、切れた。
 暗い部屋の中、優佳は自分の足下にひざまずく真の顔を、その暗く、熱を帯びた瞳で、じっと見つめる。

 手元にあったリモコンを取ると、“プチッ…”とテレビのスイッチを切り、そして静かに呟いた。

「ねえ…、お願い。部屋に、連れて行って……」

 熱い吐息のような優佳のその声に応えて、真は姉のその華奢な身体に腕を回した……。


 二人の関係がこんなふうになったのは、いつのことだったろうか。
 ……真は回想する。

 真にとっての、姉の一番古い記憶…。
 それは真っ白な部屋の中、ベッドに座る、彼女の姿であった。

 子供の頃の彼女は病弱で、入院ばかりしていた。いや、むしろ家にいる期間の方が、短かったかもしれない。

 彼女が入院していたのは、そのころはまだ開業していなかった父が勤めていた、大きな病院だった。
 狭い、個室となった病室
 壁は白く、そこに置かれたベッドのシーツもまた、白い。
 全ての汚れを否定するようなそこは、清潔で、冷たくて、硬質な、まるで牢獄みたいに真には見えた。

 その部屋の真ん中。
 ひとり、ベッドの上に座る彼女……。

 子供らしい丸みのない、やつれたようなその頬。蒼白い肌。注射の後がいくつも残った、細い両の腕。時にはそこに、まるでそれが彼女を繋ぐ鎖のように見える、点滴の管が刺さっているときもあった。

 その姿は、あまりにも弱々しく、儚げで……まるで、綺麗な人形の様に見えた。

 …だから真は、いつも姉の方ばかり向いているように感じる両親のことも、子供心に仕方がないことだと納得していた。
 あの子は、かわいそうな子なんだと……。

 たまに家に帰ってくる彼女を、真はまるで、お客さんが来たかのような感覚で迎えていた。
 ……兄弟というのは、どうやって兄弟となるのだろうか?
 もちろん、同じ親を持ち生まれてくれば、当然それは兄弟である。しかし、そんな答えを求めているのでないことは、百も承知だ。
 そしてそのころの優佳と真は、間違いなく『姉弟』ではあり得なかった……。


 優佳を抱えて、真は階段を上がる。俗に言う、お姫様ダッコというヤツだ。
 彼女は弟の腕の中で、まるで抱かれたネコのように彼の方を観察しながら、それでもおとなしくしている。

 階段を上がりきると、そこは短い廊下になっていた。
 2階には2人の部屋と、それに簡単な洗面所、それに物置となっている空き部屋がある。

 どうする? と、真は姉に視線で訊ねる。
 それに対して優佳は、

「私の部屋へ…」

 そう、短く応えた。

 彼女を抱えたまま、苦労しながらドアのノブを回し、彼女の部屋へと入った。
 足で、器用にドアを閉める。

 優佳の部屋は、よく言えばシンプル……、正直に言えば、色の乏しい部屋であった。

 おおよそ、女の子らしいといえる飾りは、全くというほどに無い。
 この年頃の娘が喜ぶような、可愛らしいぬいぐるみだとか、綺麗な壁飾りだとか、格好のいい写真や絵だとか……。

 あるのはただ、机と、ベッドと、大きな本棚と、CDラジカセにCDラック、それに飾り気のない衣装ダンス。
 ……それだけだ。

 数少ない家具の一つであるベッドの上に、真は優佳をそっと下ろした。
 彼女の長い髪が、白いシーツの上に広がる。
 真はそのまま身体を起こそうとするが、優佳がそれを許さなかった。
 彼女の細い腕が彼の首に回され、引き寄せる。
 そしてそのまま、彼女は弟の唇を奪った。

「……んっ」

 先ほどの痛みへの恐怖から、反射的に身をこわばらせる、真。
 しかし優佳はそんな彼の態度に嘲るような小さな笑みを目に浮かべると、そのまま彼の口の中に舌を差し込んだ。

“くちゅ……”

 真の口の中を、優佳の舌が彼の舌を求めてうごめく。
 彼はそんな姉に応え、自らも舌を絡めた。

“ぴちゃ…、ぴちゅ…”

 彼の口の中に、彼女の口から唾液が送り込まれる
 真はそれを躊躇い無く飲み干すと、彼女の身体を抱きしめながら、自らも姉の口に唾液を送り込んだ。

「ふぅ、…っん」

 優佳もまた、鼻を鳴らしながら彼の唾液をすすり取る。
 静かな部屋の中に、淫らな水音が流れる。
 …長い、とても長いキス……。

「はぁ……」

 ゆっくりと、二人は唇を離し、向かい合う。
 優佳のバサバサの前髪から覗く黒い瞳が、真に何かを訴える。
 それを無言で読みとった彼は、彼女の服のボタンに、出来るだけ優しく手を伸ばした……。


 優佳が14の時、大きな手術が行われた。
 それがどのような手術であったのかは、子供であった真にはわからない。ただ、病気から解放されるか、それとも死ぬか、…それほどのものだったと聞いている。

 だが彼女は、それを乗り切った。
 その1年後には、彼女は普通の学校に通えるまでになっていた。
 ……そのときの、姉の嬉しそうな顔。
 真が初めて見るほどの、輝いた表情だった…。


 …しかし、その笑顔は長くは続かなかった。
 学校に通うようになってから、彼女の顔からは笑顔が徐々に消えていった。
 一日ごとに、学校から帰るたびに、彼女の顔には苦しそうな表情が深く刻まれていき……

 そしてその苦しみの表情が消えたとき、……彼女の顔はもういっさいの表情を無くし、優佳は学校へ行くのを止めた。

 彼女が学校で何を体験してきたのか、彼は知らない。
 しかし、容易に想像することは出来た。

 彼女のような、他の普通の子供達とは全く違う人生を送ってきた“異物”がその集団に入ってきたとき……、彼らはどんな対応をしたのか?
 それは、姉の顔を見ていればすぐにわかった。

 だから彼女が自分の部屋から出ることをいっさい拒んだとき、真は彼女をそこから無理矢理に引き出そうとすることなど出来なかった……。


 優佳は、自分のシャツのボタンを外す真の手の動きを、ただ無言で眺めていた。
 彼の手が、身体の前のボタンを外し終わり、さらに彼女の腕をとり、両のそでのボタンを順番に外す。
 そして真は彼女の服をそっとはだけると、彼女から脱がし取った。

 彼女の白い肌と、ほっそりとした裸の肩が露わになる。
 胸の膨らみを覆う下着は、やはり飾り気のない、素っ気ないデザインのものだったが、そこから覗く柔らかそうな肌は、それとは対照的に艶を帯びた瑞々しさを主張していた。

 次に、ジーンズに移る。
 彼女はベルトをしてはおらず、彼はボタンとチャックを開け、ジーンズを足から抜き取る。
 優佳は軽く腰を上げ、その行為を助けた。

 細く、なだらかな曲線を描く両のふとももと、その付け根を覆う小さな布きれが、真の前に現れる。
 柔らかそうな、それでいて張りを感じさせる姉の綺麗な脚と、彼女の最も秘めやかな場所を覆う、一枚の下着。
 その光景は、真の中の男を刺激せずにはいられない

 ……だが、彼はその欲望を、内に押さえ込む。
 それをそのまま、思うがままに彼女に向かってぶつける事は、彼には許されてはいなかった。

 ただ黙って、そっと、姉の足下にひざまずき、その脚を手に取る。
 そしてやはりそっと、丁寧に、彼女の脚から靴下を抜き去った。
 まずは右足から、そして、左足も…。

「……マコト…」

 その彼の行為をただじっと見つめていた優佳が、そう彼に呼びかけた。
 真はそのままの姿勢で、姉の顔を見上げる。

「…マコトだけは、私を裏切ったりはしないよね?」

 ……その言葉は、彼を縛る呪文。彼を彼女につなぎ止める、暗い枷(かせ)だった。

 …だから真は、黙って一つうなずくことで、それに応える。
 彼女の右脚を静かに取ると、そのふくらはぎの内側に口づけし、小さく舌を這わせた。

「ああ……」

 優佳の内から、熱い、あえぐようなため息がもれた……。


 ……優佳が部屋に引きこもるようになり、それと共に家族の間には暗い影が落ちた。
 それでも両親も真も、何とか少しでもその影を取り除こうと努力したが、そのほとんどの行為は徒労に終わった。
 そして相変わらず、優佳は何も話そうとはせず、どんな表情をもその顔に浮かべようとはしない。

 …はじめに疲れ果ててしまったのは、母親だった。
 専業主婦として、そして母親として、最も優佳のために心を痛めた彼女。心労にやつれた、その姿。
 何があったのか、あるいは父と母との間にどんな会話があったのか、詳しいことまでは真も知らない。
 しかしある日、母は実家へと帰っていった。

 …そしてその夜、真は姉の部屋を訪れた。

 優佳は相変わらず、ベッドの上にうずくまり、何も話さず、ただじっとしていた。
 その日は満月で、閉められたカーテンの隙間から入ってくる光で彼女の顔はよく見えた。
 その、何も映してはいないような、暗い瞳も……。

「姉さん……」

 真は、彼女に呼びかける。
 しかし、やはり彼女は何も言わなかった。
 何も言わず、何も応えない……。

「……」

 …真の目から、知らず涙がこぼれた。
 悲しくて、悔しくて、いらだたしくて、不安で、哀しくて……
 ……どうしようもなく、止めようもない涙がこぼれる。

「………っ」

 …ふと、なにか、声とも言えないような、そんな息づかいのようなものが聞こえた。
 真は顔を上げ、優佳を見る。

 そこには、彼の方に顔を向ける姉の姿があった。

「姉さん……」

 その顔に、表情の影が揺らいだ。
 真が久しぶりに見る、彼女の、表情。

「ぅ…っあ……」

 口からこぼれる、意味をなさない音。
 そしてその顔には見るものを凍り付かせるほどの、悲痛な……『怒り』が宿っていた。

「…あ、あああああ……っ!!」

“ばすっ、ばすっ”

 優佳は傍らの枕を両手に取ると、それで真を、何度も殴った。
 意味をなさない、悲鳴のような声を上げながら、力の限りに彼を殴る。
 何度も、何度も……。

「ちょ、ちょっと…」

 もちろん、たいして痛くはない。
 それでも慌てる真に、優佳はさらに興奮したのか、枕を放り捨てると、今度は手近なものを片っ端から投げつけてきた。

 クッション、小さな小物入れ、そして目覚まし時計……。

 “ガツッ!”  ……鋭い、痛み。

 時計の角が、真の頭に当たった。
 アンティーク風の、木製の枠のついた時計。

 “つ……”と、真の頭から顔に、濡れたものがたれる。
 少し粘ついた、独特の匂いをした、液体。

「あ……」

 優佳の動きが、止まった。
 そのまま、蒼い顔で、そして恐怖に満ちた顔で、真の方を見る。
 ……真は、姉のその表情を見ていた。

 他人のような、姉。
 冷たい病室で、一人ベッドに腰掛けていた、姉。
 ずっと、病院以外の場所を知らなかった、姉。
 憧れていた普通の学校に拒絶され、裏切られた、姉。
 家族を、きっと彼女にはどうしようもなく、壊してしまった、姉。
 そして今、真を傷つけてしまい、そのことに怯える、姉。

 …これほどの傷を負って、ここにいる姉。
 そして、それに何もしてあげることもできない、自分。

 ……真は、『姉』に言った。

「…………ごめん」

 …無力な彼の口から、そんな言葉が発せられた。

「あ……」

 彼の姉の表情が、静止する。
 無表情なそれで。

 しかし……

「マ、コト……」

 しかし、次に優佳の顔に浮かんだのは……

「マコトは、……」

 その無表情の下から現れたのは……

「マコトは、ずっと、私の側に、いてくれるの?」

 ……頷く、彼。

 それを見た優佳の顔に浮かんだそれは、……歪んだ、『歓喜』の表情だった。


 そして、その日から…………真は、姉の『モノ』となった。


“ぴちゃ…、ぷちゅ…”

 暗い部屋の中に流れる、淫らさを誘う水音。

「どう、マコト。きもちいい?」

 白いシーツの上、重なり合う2つの身体。
 真の上に覆い被さるようにしながら、優佳はそう訊ねた。

「……っ」

「ふふふ…、そう、気持ちいいんだ…」

 ギシギシと、ベッドのたゆむ音。
 そして真は、動くことが出来ない。

 真の両手両足は伸ばされ、それぞれベッドの支柱に縛り付けられていた。
 その何も身につけてはいない彼の上で、やはり裸の優佳が弟の肌に手を沿わしていた。

 優佳の唇から舌が差し出され、真の首筋をなぞる。
 冷たい手のひらが、彼の太股の内側やきわどい辺りを、さわさわと愛撫する。
 その動き一つ一つが彼にむずがゆいような快感を与え、真はその度に声を押し殺して呻いた。

“ぴちゃ……”

 優佳がゆっくりと移動しながら、真の肌を舌で愛撫していく。
 首筋を舌先で撫でながら、徐々に鎖骨の方へと。
 そこで軽く、浮き上がった彼の鎖骨に歯を当てる。

「う…っ」

 肌を噛み破るほどではないにしろ、手荒い愛撫。
 手足を縛られ、何の抵抗も出来ない今の彼にとって、その痛みはいつもよりも恐怖を伴うものである。
 その刺激に耐えきれず、小さな声が漏れる。

「ふふっ……」

 その声を聞き、嬉しそうな笑みを浮かべながら、優佳はさらに下方へと移動し、真の胸板に頬を寄せる。
 何かを確かめるように、何かを求めるように、そんなふうに彼の胸に頬ずりをした後、"ぴちゅ…" とその乳首を舐め上げた。

「……っ!」

 真の身体が、ビクッと振るえた。
 その反応を楽しみ、味わうかのように、彼女はその行為を続ける。
 静かに、彼をいたぶるかのように。

「はぁ、はぁ……」

 彼女も興奮しているのか、その唇からは普段よりも荒い息づかいが聞こえる。

「マコト……」

 彼女の唇は、さらに移動する。
 胸元から、引き締まった腹を通り、そして下腹へと。
 そこにはすでに痛いほどにいきり立った、彼の性器がその存在を主張している。

“ぷちゃ…、ぴちゃ…”

 だが、優佳はまだそれには触れない。
 そこを回り込むように頭を動かすと、彼の太股の内側を舐め上げる。
 ビクビクと緊張する彼の太股の間に潜り込みながら、執拗に舌を這わせる。
 その間彼女の両手は、やはり彼の陰嚢や、そこから後ろへと続く筋の辺りを、やんわりと刺激していた。

「んっ……んん」

“ぴちゃ…”

 股間の辺りにかかる彼女の荒い鼻息さえも、今の真にはもどかしい快感として感じられ、それが彼をいたぶる。
 しかし優佳は、まだ決して彼の興奮の中心には触れてはこなかった。
 ただその周囲を、じりじりと刺激し、彼に耐えきれないほどの焦燥感を与え続ける。

「う…ああ……っ」

 ついに耐えきれなくなったように、真の口からそんな声が漏れた。
 それを耳にして、優佳が頭をもたげる。その顔には、もはや逃げる力を失った獲物を前にしたネコのような、そんな笑みが浮かんでいた。

「マコト……」

 そう弟の名を呼んだ彼女の手が、真のものに、初めて触れた。
 彼のペニスはもはや限界まで膨れあがり、その先端からは先走りの粘液がにじみ出ていた。

“にちゃり…”

 幹の部分を撫でる優佳の手のひらが、その粘液で淫らな音を立てる。
 そのまま、彼女は握る手を上下させ、やや荒っぽい刺激を彼に伝える。

「くぅ…っ、姉さん…!」

 その反応に、優佳の目がさらに細められる。
 彼女は手の中の肉棒を弄ぶようにしながら、その先端へと唇を近づけた。

“ぴちゃ……”

「…っ!」

 高まりきった先端を、熱くぬめった刺激が襲う。
 そしてそのまま、彼の欲望は、熱く湿った姉の口の中へと飲み込まれる。

“ぬちょっ、にちょ…っ!”

 優佳は彼のモノを強く吸いながら、大きく頭を上下させる。
 その口の中では舌が蠢き、弟のものを刺激していた。

“ぬちゃっ、にちゃ…っ!”

 その彼女の行動を、愛撫と言っていいものか。
 ただなんの思いやりもなく、激しく、有無を言わせぬ快感を彼に送り込み、そしてそのまま乱暴に彼を絶頂へを追い込む。

「う……くっ!」

 最後に“ビクンッ”と腰を震わせ、彼はあっけなく彼女の口の中で弾けてしまった。

“ドクッ、ドクッ…”

 口の中をたたく、熱いほとばしり。
 そのえぐいような匂いのする粘液を、彼女は一種の征服感と共に受け止める。

「…ゴク、ン……んっ」

 優佳の細く白い首が、上下する。
 真は自分の放ったものを、姉が胃の中に送り込んだことを知った。

 全てを出し切り、ぐったりと脱力する真の身体。

「ん…ぴちゃ……、うん…っ」

 しかしそれでも、優佳の口の中はまだその動きを止めず、彼を刺激した。
 尿道に残った最後の滴までを吸い上げ、その少しだけ柔らかくなった肉棒を舐め、しゃぶり、いたぶり尽くそうとする。

「……くっ」

 その刺激に、真は再び血液が腰へと集まるのを自覚する。
 彼のモノは優佳の口の中で、再びさっきまでの硬さへと変化した。

「……っはぁ…」

 “ぷちゅ…”と音を立て、優佳の唇から、弟のものが解放された。
 その浅ましく静脈を浮き立たせた表面は、姉の唾液でてらてらと光を反射させていた。

「マコト……」

 優佳はシーツでその濡れた口元を拭うと、再び真の上に覆い被さってきた。
 彼の腰をまたぐようにして、彼の上にのしかかる

 “ぬちゃ…”と、真は彼女がまたいだ場所に、濡れた感触を覚える。
 見れば姉の股間はすでに見ただけではっきりとわかるほど濡れそぼっており、あふれた粘液は太股まで垂れていた。

 ひやりと冷たい感触が、彼のペニスに触れる。
 冷たい、優佳の手。
 その姉の手が、弟の肉棒を掴み、自らの胎(なか)へと導く。

「ん……っ!」

 ずるりっ…と、真の最も敏感な場所が、熱く、きつく、湿った場所へと潜り込んでいく。

「ああ……あっ!」

 彼の上にまたがり、優佳は背中を反らせ、…そして、再び彼に重なるように覆い被さった。

「はあっ、はあっ、はあっ…」

 真の耳元で奏でられる、優佳の熱い息づかい。
 彼女の肉は彼をびっしりと隙間無く覆い、締め付け、そして微妙に、しかし確かに蠢(うごめ)き、彼を刺激する。
 腰を動かさずとも、その常に変化しながら彼を刺激するその器官の動きが、ただじっと重なり合う二人に、快楽を送り続けた。

「はあっ、はあっ、……ねえ、マコト…」

 優佳が、顔を起こした。
 上と、下。今にも触れあいそうなその距離で、姉と弟の視線が交わり、絡まり合う。

「…マコトは、……私を裏切ったりしないよね…?」

 脅すように、怯えるように、絡め取るように、縋るように、…姉はその言葉を口にする。
 …そして、真の答えはいつも……

「大丈夫だよ、姉さん。
 ずっと、姉さんが望む限り、俺は一緒だよ……」

「……」

 彼の上で、姉の顔が歪む。
 歓喜と、痛みと、満足感と、喪失感と、……そうした全てをその瞳に浮かべて。

「……だったら…」

 小さな、本当に小さな声で、彼女は呟く。
 こんなにも静かな部屋の中でなければ、簡単にかき消されてしまいそうな、か細い声で…。

「…だったら、マコトは、誰も好きになっちゃダメだよ……」

「……姉さん…」

 優佳は、ただじっと真の目を見つめながら、繰り返す。

「マコトは、誰のことも、好きになっちゃダメ……」

 その優佳の瞳が、真を突き動かした。

「姉さん、違うよ。昼間の二宮は、そんなのじゃあないんだっ。
 俺は…、俺は姉さんが……っ!」

 …そこまでしか、言うことはできなかった。
 姉の両手が、彼の口を覆ったのだ。
 まるで、そこから出そうになったものを封じ込めるように。
 まるで、彼をそのまま窒息させてしまいたいとでもいうように…。

「ダメだよ…っ」

 優佳は、ただそれだけを繰り返す。

「ダメだよ、マコト。
 マコトは、誰のことも、……それが誰だろうと、好きになっちゃダメ……っ!」

 ポタリ…と、真の頬に何かが落ちてきた。
 見上げる姉の頬を流れる、涙。
 それが彼女の顎を伝わり、そこから水滴となって真の顔を濡らす…。

「………」

 何か、彼女に言ってあげられる言葉があるはずだ。
 そうでなければ、せめてその頼りげない細い身体を抱きしめてやりたかった。

 ……しかし、彼女の手でふさがれた彼の口は何も言うことが出来ず、縛られた両腕では彼女の背に手を回すことは出来なかった。

「んっ…、……くぅん…っ」

 真の上で、優佳が身体を動かし始めた。
 ねじるように、腰をうごめかす。
 それと共に彼女の中の真は、違った方向から締め付けられ、しごかれ、そしてその全てを快感として脳へと伝える。

「はぁっ、はぁっ…!」

 暗がりの中、真の上でその白い裸身が、淫らに揺れる。
 そしてその度に、彼の背筋を痺れるような感覚がが駆け上がった。

「はぁっ、はぁっ…、マコト、…マコトッ!」

“にちゃ、にゅちゃ…”

 二人が繋がった場所から立ち上がる、淫らな湿った音。
 耳に入るそれさえもが、今のマコトにとっては耐え難いほどの快感だった。

「はうっ…っっ!!」

 優佳の口から、ひときわ高い声が出された。
 真が、その縛られた不自由な身体を無理矢理動かし、彼女を下から突き上げたのだ。

「ふぅ…っ、あんっ!」

 暗い部屋の中、2つの裸身がうごめく。
 それらは一つになり、もつれ合い、絡み合う。

「ああ、マコト、マコト…っ!
 わたし、もう、……もうっっ!!」

 そしてその激しい息づかいが、頂点に達したとき、

「ああああーー……っ!!」

“びゅくっ、びゅく…っ”

 彼女の胎が、引きつれるように彼を締め付ける。
 そしてそれに応えるかのように、真もその耐えきれなくなった欲望を、姉の躰の中に打ち出していた。

「…~~っっ!」

 そして、……優佳は真の上に、力つきたように倒れかかった。

「はあっ、はあっ、はあっ…」
「ふぅ、ふぅ…っ」

 どちらからとも無く、互いが互いの唇を求めて、首を動かす。

「ん……」

 舌を絡め合い、唾液をすすり合い、長い口づけを二人は続ける。

「はあ、ん……っ」

 そして二人は重なり合ったまま、行為の後に訪れる心地よい脱力感に、その身をまかせた……


「ん、んん…」

 真の腕の中、裸のままの優佳が、安らかな寝息を立てている。
 二人の父親は、今日は忙しくて帰って来られないらしい。そう電話があった。

 真は、腕の中に収まる少女の寝顔を、ぼんやりと眺める。
 姉は弟の胸に身をまかせ、安心しきったような顔で眠っていた。

「姉さん……」

 静かに、声をかける。
 しかし答えは返ってこず、ただそのゆったりとした息づかいだけが、真の耳に伝わるのみだ。

 そっと、そんな姉を起こしてしまうことがないよう、彼女を抱く腕に、力を込める。
 重なった肌から、心を落ち着かせる温もりが、彼の身体に染みこんでくる。

『俺は……』

 何故、こんな事になってしまったのだろう。
 何故、こうするしかなかったのだろう。

 姉の首筋に、顔を埋める。
 彼女の髪の匂いと、汗の匂いが、真の鼻腔をくすぐる。
 そんなことで安心できたのか、彼にも眠気が浮かんできた。

 …このまま眠れば、また朝がやってくる。
 今と、全く変わらない朝が。

 そしてこれからも、そんなふうにして同じ朝が続いていくのだろうか……

『姉さん…、……優佳……』

 …真は、目を閉じる。
 まだ見ぬ、そして必ず訪れざるをえないだろう、遠い夜明けを想いながら………

《了》