血族

−終章−



 少女は、草むらに仰向けに寝て、ただ、空を見ていた。
 お気に入りの河原の土手。遠くから、少年野球チームの歓声が聞こえてくる。
 週末の昼。暖かな春風が頬をなぶる感触が、気持ちいい。
 彼と別れて、一ヶ月あまり。
 自分が、確かに変わったことを、少女は自覚していた。
 あの辛い夏以来、ぎくしゃくしていた母親との関係も、元に戻りつつある。
 どこか疎遠になっていた友だちとも、心の底から笑い合うことができるようになった。
 それでも、一人になると、心の中に、ぽっかりと穴が開いてしまったような気持ちになる。
 たった三日を一緒に過ごしただけの、あの不思議な男……。
(飄次郎さん……)
 鋭い目つきの、しかしどこか子供っぽさを残した、あの男。
 優しい――狼男。
(飄次郎さん……どうしてますか……?)
(あたしは……まだまだ、甘えんぼです……)
(でも……でも……)
(あなたの思い出に甘えるくらいなら、許してくれますよね……)
(それとも、また、お説教されちゃうかな……)
(それでも……いいけど……)
 ゆっくりと流れる雲を見ながら、そう思っていたとき――
「詩織、こんなとこにいたのか」
 夢にまで現れたその声を聞き、詩織は、がばっ、と体を起こした。
 そこに、飄次郎がいた。
「あちこち探したぜ」
 そう言いながら、飄次郎が、土手の斜面を降りてくる。
「いろいろあって、遅くなった」
「いろいろ……?」
「ああ。この街に、まだやっかいな連中が残っててな。俺やお前にちょっかいを出せないように、ちょっと痛めつけといた」
 にっ、と飄次郎は、片頬だけで笑った。
「この街での仕事も、ようやく終わりさ」
「じゃあ……また、どっか行っちゃうんですか?」
 そう尋ねる詩織の肩に、飄次郎は、両手を置いた。
「俺、東京で仕事してるんだ」
 そして、はにかんだような口調で、飄次郎は言った。
「探偵――って言うか、情報屋って言うか、なんだかよく分かんない奴と一緒にな。助手だか、相棒だか、用心棒だか、そんな感じの仕事を」
「それじゃあ……」
「実は……最近、けっこう近くに、部屋を借りたんだ」
 ますます照れた様子で、飄次郎が言う。
「だからその……俺、これからずっと……」
 みなまで言わせず、詩織は、飄次郎に抱きついていた。
 もう逃すまい、とするかのように、ぎゅっと腕に力を込め、そして、飄次郎の顔を見上げる。
 飄次郎の顔が、涙でにじんだ。
「人が、見てるぞ」
 そう言う飄次郎に、詩織が、聞き分けの無い子供のようにかぶりをふる。
 飄次郎は、ふっと微笑み――
 そして、詩織の柔らかな唇に、優しく口付けたのだった。


あとがきへ

目次へ

MENU